この記事は、天理教綾部分教会が発行している会報『陽気ぐらし通信(2026年1月号)』の内容を、Web用に再編集してお届けするものです。
2026年1月26日、天理教教会本部でつとめられた教祖140年祭において、真柱様は次のようなお言葉を述べられました。
「陽気ぐらしの世界への道のりは、まだまだ遠い。」
教祖140年祭 真柱様あいさつ(要旨)より
陽気ぐらしの世界への道のりは、まだまだ遠い。
それどころか、近年の世界情勢を見ていると、むしろその道が遠ざかっているようにさえ感じられます。
戦争はいけないとわかっていながら、止めることができない、厳しい現実。
相手よりも強くならなければならない。
相手よりも先に手を打たなければならない。
そうした各国の焦りや恐れが連鎖し、結果として、世界中の人々を「陽気ぐらし」から引き離しているように思えてなりません。
なぜ「陽気ぐらし」が遠ざかっているのか
天理教では、人の心に積もるものを「ほこり」と表現します。
これは、悪人の心という意味ではありません。

誰の心にも、知らず知らずのうちに溜まってしまう
自己中心的な思いのことを指しています。
「自分さえよければ」
「負けたくない」
「認められたい」
こうした思いは、私たちの日常にも、ごく自然に生まれます。
そしてそれが、国や社会という大きな単位に積み重なったとき、対立や争いとなって現れてくるのです。
「かしもの・かりもの」の教え
天理教では、人間の身体も、この世界も、すべて親神様からお借りしているものとする「かしもの・かりもの」という教えがあります。

しかし、この教えを忘れ、
「自分たちだけの力で生きている」
「自分たちだけが豊かになればいい」
という思いが強くなると、
互いにたすけ合う関係は、次第に崩れてしまいます。
本来、私たちは親神様から見れば兄弟姉妹です。
たすけあうべき「子ども」同士が争っている姿が、今の世界に広がる生きづらさの一因なのかもしれません。
私たちはどうすればいいのか
真柱様は、先のお言葉に続けて、次のようにもおっしゃいました。
「きょうは新たな歩み出しの日でもある。
教祖140年祭 真柱様あいさつ(要旨)より
どうか、これからも勇んで歩み続けてくださることをお願いしたい。」
この「新たな歩み出し」とは、もちろん国家や地域社会が踏み出すものではありません。
私たち一人ひとりが踏み出す、明日への一歩のことです。
それはたとえば、日々の暮らしの中で、
自分の心に溜まった「ほこり」に気づくこと。
「当たり前」を「お陰様」と受け取ってみること。
身近な誰かの「たすかり」を願い、行動してみること。
『おかきさげ』にも、
「人を救ける心は真の誠一つの理で、救ける理が救かる」
『おかきさげ』より引用
とあります。
相手を打ち負かすのではなく、むしろ相手を助けるという行為が、同時に自分の心を澄ませ、ご守護を受け取るための心へと切り替わることになるのです。
陽気ぐらしへ向かう一歩を
陽気ぐらしは、神様が突然つくってくれる世界ではありません。
一人ひとりが親神様とのつながりを思い出し、目の前の人を「兄弟姉妹」として大切にし始めたとき、少しずつ、その道のりは縮まっていくものだと信じます。
そういう意味では、「教祖140年祭」という節目は、どこか余裕を失っている今の世界を嘆くことを止めて、
自分の心が「陽気ぐらし」に向かっているのか?を確かめ直し、明日からも勇んで歩き出すための、有り難い「ふし」であったと言うべきなのかもしれませんね。
(文・桑原信司)
