この記事は、天理教綾部分教会が発行している会報『陽気ぐらし通信(2026年2月号)』の内容を、Web用に再編集してお届けするものです。
先日、おぢばに帰らせていただいた際、教祖殿の前にある梅がいくつか花をつけていました。
『道のまないた』によれば、この老樹は、教祖五年祭の頃に、郡山大教会の初代会長・平野楢蔵先生が献上されたものと伝えられています。
140年祭という大きな節目を越えた今も、変わることなく教祖(おやさま)をお見守り続けているその姿に、深い敬意を抱かずにはいられませんでした。
そんな梅の花は、厳しい冬の寒さが残る中、他の花に先んじて花を咲かせることから「梅は百花の魁(さきがけ)」と呼ばれています。
暖かくなってから花を咲かせるのではなく、厳しい寒さの中でもいち早く花を咲かせようとするその懸命な姿に、自分自身もそうでありたいと感じます。
私たちは「冬の時代」をどう生きるか?
現代は物価の高騰や相次ぐ増税、人材不足による負担増など、まさに厳しい「冬の時代」が続いています。
内閣府の「国民生活に関する世論調査(令和7年8月調査)」によれば、去年の今頃と比べて生活は向上しているか?という旨の質問に対し、
「向上している」と答えた方の割合はなんと5.3%程度、
「同じようなもの」と答えた方が59.5%、
「低下している」と答えた方の割合が34.7%
となっており、多くの人が先行きに希望を見出しにくい状況にあることが分かります。
また、世界に目を向ければ、国同士の争いは絶えることなく続き、親神様が望まれる「世界一れつ兄弟姉妹」の姿から、なお隔たりがあるようにも見えます。
陽気ぐらしへ向かうための歩みを
しかし、そんな時代だからこそ、私たちはまず自分から、陽気ぐらしへ向かうための歩みを進めていかなくてはなりません。
「生活が豊かになってきたから、ようやく陽気に暮らせる」のではなく、
たとえ生活が厳しくても、「かしもの・かりもの」の教えを心に治め、互いたすけあいを進んで実践し、周囲にいち早く陽気な「にをい」をかけられるような、まさに「梅の花」のような存在が求められているのではないでしょうか。

主なしとて春を忘れず
東風(こち)吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
主(あるじ)なしとて 春な忘れそ
この歌は、菅原道真公が島流しの刑に処せられた際に、自宅の梅の花にあてて詠んだ歌で「たとえ自分と離れ離れになっても、春になれば忘れずに花を咲かせておくれよ」という切ない願いが込められています。
私たちにとっての主である教祖は、明治20年1月26日をもってお姿を隠されましたが、今も存命の理をもって、変わらぬ親心でお導きくださっています。きっとそこには、私たちの成人を願われる切なる親心があります。
教祖は、可愛い子供をたすけて陽気ぐらしへと導いてやりたいとの親心から、だめの教えをお啓きくだされ、以来50年にわたってたすけ一条の道の次第を整えられ、自ら歩んでひながたの道をお残しくだされたうえで、「今からたすけするのやで」と、なおもたすけを急ぐと、定命を縮めて現身をかくされ、以後、末代にわたって存命の理をもってお導きくださるのである。
教祖140年祭 真柱様あいさつより
大きな年祭を終えた今こそ、私たちは教祖のひながたを胸に、いかなる境遇にあっても、明るく前向きに受けとめる「たんのう」の心をもって、周囲に陽気な「にをい」を広げていく、梅の花のような存在になりたいものです。
(文・桑原信司)

