私は、天理教の教えを誰かに伝えようとするとき、「何からお話しすればよいのだろうか」と立ち止まることがあります。
けれども、そうしたときに必ず行き着くのは、天理教の教えの出発点とも言える「かしもの・かりもの」の教えです。
この教えは「人間の身体は親神様からお借りしているものであり、心一つだけが自分の自由に使えるもの」 というもので、天理教の「教えの台」とも呼ばれています。
天理教の三原典である『おふでさき』にも、次のように記されています。
めへ/\のみのうちよりのかりものを
しらずにいてハなにもわからん(自分自身の身体が神様からの借り物であることを知らなければ、物事の本当の意味は分からない)
『おふでさき』第三号 137
この「かしもの・かりもの」の教えに触れると「どう生きるか?」「何を大切にするか?」という人生の問いにも、落ち着いて向き合えることができます。
ここでは、そんな「かしもの・かりもの」の教理について、
- 未信仰の人でもわかりやすく
- 信仰している人にも学びがあるように
わかりやすく、解説していきたいと思います。
身体は「神様からお借りしているもの」
私たちはふだん、自分の身体を自分の意思で自由に動かしているように感じています。
たとえば、スマホを見たり、近くのものをとったり、ストレッチをしたりなどです。これらはすべて「自分の意思」によるものです。
けれども、少し立ち止まって考えてみると、私たちの身体には「自分の意思では動かせない」領域があります。たとえば、
- 眠っている間も心臓を休まず働かせること
- 食べたものを消化し、栄養として取り入れること
- 怪我をしても、元通りに傷がふさがること
などです。天理教では、こうした人間の意思を超えた身体の働きを「十全(じゅうぜん)の守護」と呼び、親神様が我が子である人間に、休むことなく貸し与えてくださっている力だと教えられます。
このことから、私たちの身体は、親神様からお借りしているもの=かりもの と教えられるわけです。
私たちは「操縦士(パイロット)」である
神様と私たち人間の関係性については、以前にも触れたように、天理教では「親子関係」として教えられています。

ただ、これを「身体」という視点から見つめ直してみると、もう一つ、私たちの理解を助けてくれる捉え方が浮かび上がってきます。
それが、「オーナー(神様)」と「パイロット(人間)」という関係性です。
私たちの身体が正しく働くよう、目に見えないところで絶えず守り、整え続けてくださっています。
いわば、機体そのものを管理し、万全の状態に保ってくださる「オーナー」のような存在です。
その身体という機体をお借りしながら、日々の生き方を選び、人生を進めていく「パイロット」のような存在です。
つまり私たちは、
- 親神様より「かしもの」としてお借りした身体を
- 「かりもの」として操縦させていただいている立場にある
このように理解すると、この教えはとても身近なものになります。
大切なのは「どう生きるか」ということ
だからこそ、大切なのは、
この身体をどのような心で使わせていただくのかということです。
自由気ままに使うのか?
自分の欲を満たすために使うのか?
誰かを喜ばせ、たすけるために使うのか?
親神様は私たち人間に「心の自由」を許されているので、どう生きるか?については、結論から言うと「自由」です。
ただ、親神様がこの身体を貸してくださっている理由は、
人間同士がたすけ合い、喜びを分かち合いながら暮らす「陽気ぐらし」の姿を見て、共に楽しみたい、という深い親心にあります。
だからこそ「かしもの・かりもの」の教えに立ち返ると、私たちが生かされている理由もまた、この「陽気ぐらしの世界」を互いに協力して実現していくところにあるのだと、気づくことができます。
「身上」や「事情」をどう受けとめるか
「かしもの・かりもの」の教えは、病気や悩みと向き合うときにも、大切な視点を与えてくれます。
天理教では、病気(身上)や悩みごと(事情)を、単なる不幸や罰として捉えません。
それらを、親神様が私たちの生き方や心の向きを見つめ直すきっかけとして与えてくださる
「手引き(メッセージ)」と受けとめます。
たとえば、
- 自分本位な思い
- 怒りや不満、ねたみ
- 欲に引っ張られた心遣い
こうした心遣いを、天理教では「ほこり」にたとえて諫められますが、この「ほこり」は誰の心にも知らず知らずのうちに積もるものです。

ですから、身上や事情に直面したときは、
「なぜ自分だけが…」と嘆くのではなく、
「借り物の身体を、親神様の思いにかなうよう使えていただろうか?」
と、自分の心を振り返ることを大切にします。
これを、心の入れ替え、あるいは心の掃除と呼びます。
「かしもの・かりもの」まとめ
「かしもの・かりもの」の教えを学ぶことで気づくのは、
私は自分の力で生きているのではなく、大きな親心に生かされている
ということです。
- 身体は預かり物。
大切に使い、感謝の心を忘れないこと。 - 心は自由。
その自由な心を、人を喜ばせるために使うこと。 - 生かされている喜び。
それに気づくことで、どんな状況でも前向きに受けとめる「たんのう」の心が育まれていきます。
私たちは皆、陽気ぐらしを実現するために、親神様から身体を借り、この世を生きています。
その教えを受けとめ、日々感謝して、誰かのために惜しみなく「身体」を使う。
それこそが、「かしもの・かりもの」の教えの、最も大切なところなのです。

