【天理教 Q&A 】天理教と仏教はどう違うの?|神様・仏様・考え方の違いをやさしく解説

「天理教って、仏教の一種なんですか?」

「桑原さんは、お坊さんなんですか?」

教会にお越しくださる方や、私に興味を持ってくださった方から、ときどきこんなご質問をいただきます。

たしかに、お寺っぽいの建物の外観や、ご先祖様に手を合わせる姿、畳が広がる内装など、どこかお寺と重なって見える部分もあるかもしれません。

でも、一歩なかに入って「何を大切にしているか」をのぞいてみると、両者は驚くほど違う場所から出発していることが見えてきます。

今日はその”出発点の違い”を、なるべくやさしくお話ししてみたいと思います。

仏教と天理教では「物語の始まり方」が違う

まず押さえておきたいのが、仏教と天理教では物語の始まり方がそもそも違う、ということです。

仏教の中心にあるのは「仏」という存在ですが、仏とはもともと「悟りを開いた”人”」のこと。つまり仏教は、「人間がどう生き、どう気づき、どこへたどり着けるのか」という、人から始まる教えなのです。

一方、天理教の物語は「神様」から始まります。

しかもその神様は、遠い天の上から人間を見下ろしている存在ではありません。

私たち人間をお創りくださった「親なる神様」として説かれます。人が修行の末にたどり着く先ではなく、人間が生まれるよりもはるか以前からそこにいてくださる存在、それが天理教の「親神様」です。

天理教の親神様についてはこちら→ https://ayabe-bunkyokai.com/about-god/

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苦しみへの向き合い方が違う

この出発点の違いは、人生の大きなテーマである「苦しみ」の捉え方にもハッキリと表れます。

仏教では、生きる以上避けられない苦しみを「どのように受け止めるか?」が大きなテーマとなります。

つまり、苦しみを無理に消そうとするのではなく、その本質を見つめ、心のあり方を整えることで、苦しみに振り回されない状態に至る=悟りを開くことを目指しています。

一方、天理教では、人間の苦しみは、神様が人間を「陽気ぐらし」へと導くための「てびき(手引き)」や「いけん(意見)」であると教えられます。

それはちょうど、親が子供の成長を願って、壁を乗り越えるのをそっと見守るように、ときには試練も与えながらも、私たちを陽気ぐらしへと導こうとされています。

ですから、

個人が自らを整えるのが仏教、親神様との関係の中で「陽気ぐらし」へと導かれていくのが天理教、と言えるかなと思います。

「救い」のかたちが違う

苦しみの捉え方が違えば、当然「救い」のかたちも変わってきます。

仏教における救いは、迷いから離れ、心が安らぐ境地に至ることにあります。いわば、自らの内面(精神)の完成に重きが置かれています。

これに対して天理教の救いは「外向き」です。

つまり、人々が陽気に暮らす、その姿そのものが救いであり、その光景こそが「親神様の願い」だとされます。

ここに見えてくるのは、個人で完結する生き方(仏教)ではなく、「親と子(神と人間)」が共に喜び合うという関係性のなかでの生き方(天理教)です。

それでも似ているように見えるのは、なぜ?

ここまで読んでくださった方は、「そんなに違うのに、どうしてお寺と似て見えるんだろう?」と、改めて驚いた方もおられるかもしれませんね。

ただ、その理由はおそらく、日本人にとって「身近な宗教=仏教」だから、ということに尽きるかなと思います。

奈良時代に伝わって以来、千年以上も日本人の暮らしに寄り添ってきた仏教。

だからこそ「手を合わせる」「静かに祈る」「ご先祖様を大切にする」といった所作には、自然と”仏教らしい空気”が感じられます。

そのため、天理教の教会も、外から見ると「なんだかお寺と似ている」ような印象を持たれることがあります。

しかし、その内側で何を大切にしているかという点では、それぞれ異なる道を歩んでいます。

【まとめ】仏教は「道」、天理教は「親子」

長くなりましたが、最後にぎゅっとまとめてみます。

仏教は、人がいかに生き、いかに苦しみと向き合うかを問い続けてきた教え。いわば、一人ひとりがその道を極めていくことを目的とした「道」の教えです。

一方の天理教は、人間をお創りくださった親神様との「親子の関係」のなかで、どう生きるかを説く教えです。

目指すのは、完成された個人ではなく、親と子がともに笑い合える世界、つまり「陽気ぐらし」です。

似ているように見える両者ですが、その根っこには「人から始まるのか、神様から始まるのか」という、出発点の大きな違いがあるというわけです。


このように宗教の違いを知ることは、どちらが正しいかを決めるのではなく、自分はどのように生きたいのかを見つめる手がかりにもなります。

天理教Q&A のコーナーでは、世間一般の視点や、社会との関わりの中で感じる天理教への素朴な問いに対して、マクロな視点で分かりやすくお答えしていきます。

ぜひ、他の記事も読んでみてください。

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この記事を書いた人

桑原 信司のアバター 桑原 信司 後継者

天理教綾部分教会の後継者です。信者の皆さんや、地域の方々の心が明るくなるような信仰拠点を目指して、日々歩んでいます。
二児の父親。粒あんとコーヒーが好きです。