天理教の「ひのきしん」をわかりやすく解説|「行動」だけではない、「ひのきしんの態度」という考え方

「天理教といえば、ひのきしん」

天理教に少しでも触れたことのある方なら、この言葉を耳にしたことがあるかもしれません。

駅前や公園などで「ひのきしん」と書かれた旗を立てて清掃活動をしている光景など「見たことがあるかも」という方も多いのではないでしょうか。

紫水ヶ丘公園の清掃ひのきしん(天理教綾部支部)


しかし、この「ひのきしん」とは、具体的にどういう意味の言葉なのでしょうか。

「掃除のこと?」「ボランティアみたいなもの?」と聞かれることも多いのですが、実は天理教で説かれる「ひのきしん」の意味は、もっと広く、もっと温かいものです。

この記事では、「ひのきしん」の本来の意味から、ボランティアとの違い、そして「ひのきしんの精神」が意味するものまで、わかりやすく解説していきます。

「ひのきしん」とは?言葉の意味から探る

「ひのきしん」に漢字を当てると、「日の寄進」となります。

「寄進」とは、一般的には神社やお寺に金銭や物品を奉納することを指します。歴史ある神社の境内に「寄進 ◯◯」と名前が刻まれた石柱を見かけたことのある方も多いのではないでしょうか。

しかし、天理教の「ひのきしん」は、金銭や物品のお供えに限りません。

天理教では、身をもってする行い、つまり、自分の身体や時間を供えることも、親神様への立派な寄進として受け取ってくださると教えられています。

つまり「ひのきしん(日々の寄進)」が意味するのは、毎日の暮らしの中で、親神様への感謝の心を行動に表していくこととなります。

なお『天理教教典』には、次のように記されています。

「日々常々、何事につけ、親神の恵を切に身に感じる時、感謝の喜びは、自らその態度や行為にあらわれる。これを、ひのきしんと教えられる」

『天理教教典』より引用

ここで注目したいのは、「態度や行為」という言葉です。

「行為」だけではなく「態度」も含まれているという点は、あとで詳しく触れますので、ぜひ覚えておいてください。

ひのきしんとボランティアの違いとは?

ひのきしんの姿を外から見ると、公園の掃除をしたり、地域の清掃活動に参加したり、災害の被災地で支援活動を行ったりと、いわゆるボランティア活動と非常によく似ています。

実際、「ひのきしんって、ボランティアのようなものですか?」と聞かれることも少なくありません。

結論から言えば、外から見える姿(結果)は似ていますが、きっかけや心の向きに違いがあります

スクロールできます
ボランティアひのきしん
きっかけ社会に貢献したい、困っている人を助けたい親神様のご守護への感謝
心の向き人や社会に向いている親神様に向いている
結果人の役に立つ人の役に立つ

ボランティアは、「自分がやりたいから」「社会のために」という気持ちから始まる、素晴らしい行為です。

一方、ひのきしんのきっかけは、「親神様にこの身体をお借りし、結構にご守護をいただいている。そのご恩にお返しさせてもらいたい」という感謝の心です。

天理教では、私たちの身体は親神様からの「かしもの・かりもの」であると教えられています。

目が見えること、手が動くこと、声が出ることなど、ふだん当たり前に感じているこの一つひとつが、実は親神様のご守護によって成り立っているものなのです。

そのお借りしている身体を使って、親神様への御礼として働かせていただく。これが「ひのきしん」と呼ばれるのです。

もちろん、結果として人の役に立つという点では同じですし、ボランティアの精神も素晴らしいものです。

ただ、「なぜやるのか?」というきっかけや心の向きが違う、ということを知っていただければと思います。

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ひのきしんの姿は「千種万態」

ひのきしんと聞くと、「掃除」「奉仕活動」をイメージされる方が多いかもしれません。確かに、教会の掃除や地域の清掃活動は、ひのきしんの代表的な姿の一つです。

また、天理教には「天理教災害救援ひのきしん隊」という組織があり、地震や台風などの災害が起きた際に、全国から被災地へ駆けつけて支援活動を行っています。

災害救援ひのきしん隊とは?

災害救援ひのきしん隊は、1971年に発足した天理教の災害救援組織です。全国47都道府県に組織があり、「ひのきしんの精神」に基づき、国内外の被災地で炊き出しやがれき撤去、土砂搬出などを無報酬で行います。被災地に負担をかけないよう、食料や機材を自前で用意する「自己完結型」の支援が特徴で、日頃からの防災訓練を生かして迅速に救援活動を展開します。

衣食住のすべてを自前で用意する自己完結型の体制で活動し、被災地に負担をかけない ― この災害救援ひのきしん隊の姿は、天理教の外の方々にも広く知られています。

けれども、ひのきしんの姿は、こうした大きな活動だけに限りません。

ひのきしんの姿は「千種万態(せんしゅばんたい)」、つまり数えきれないほどさまざまな形がある、と教えられています。

たとえば 、

  • 職場で、与えられた仕事に感謝の心で取り組む
  • 家庭で、家族のために料理をしたり、洗濯をしたりする
  • 近所の方に、笑顔で「おはようございます」と声をかける
  • 教会の御用を、喜んでさせていただく

これらはすべて、感謝の心が出発点にある限り、立派なひのきしんです。

大切なのは、何をするかよりも、どんな心でするか

親神様のご守護への感謝の心から、喜んで事に当たるならば、それはどのような行いであっても、ひのきしんとして親神様にお受け取りいただけるのです。

「ひのきしんの態度」という考え方

さて、ここまで読んでくださった方の中には、「なるほど、ひのきしんは掃除やボランティアだけではなく、日々のいろんな行動が含まれるんだな」と思われたかもしれません。

しかし、実はひのきしんの意味はもう一段、広いものです。

ひのきしんについて、三代真柱様(3代目の天理教の最高指導者)は次のように教えられています。

「例えば、身体が動かなくても、目を使い、口を使い、言葉を使うという道があります。人の親切を喜んで受け入れる笑顔を作ることもできるのであります。それらの努力は、強いて言うならば、立派なひのきしんの態度だと思う。そうしてそれが、やがては自分自身のその時その時の生き甲斐となり、喜びとなり、その心が救けて頂ける源になるわけであります。」

『真柱様お言葉集』より

このお言葉は、ひのきしんについての理解を、根本から広げてくれるものだと思います。

「身体が動かなくても」ひのきしん

ひのきしんは「身体を使って働くこと」だと思われがちです。けれども、三代真柱様は、身体が動かない状況であっても、ひのきしんの道はあると仰っています。

ポイント①「目を使い、口を使い、言葉を使う」

身体全体が動かなくても、目で相手を見ること、口で言葉を伝えること、「ありがとう」と声をかけること、こうした一つひとつが、「できること」として残されています。

ポイント②「人の親切を喜んで受け入れる笑顔を作ることもできる」

誰かに助けてもらったとき、「申し訳ない」「迷惑をかけてしまった」と感じることは、人間として自然な感情です。

けれども、三代真柱様は、人の親切を素直に受け入れて、笑顔で「ありがとう」と返すこと自体が、立派なひのきしんの態度であると仰っています。

つまり、助ける側だけでなく、助けられる側にも、ひのきしんの道があるのです。

ポイント③「それらの努力は、強いて言うならば、立派なひのきしんの態度だと思う」

ここで三代真柱様は、「ひのきしんの態度」という言葉を使われています。

つまりひのきしんに求められるのは、「行動」や「成果」ではなく「態度」だということ。

ひのきしんの本質は、何かをする・しないという行動のレベルだけではなく、親神様のご守護に感謝し、今の自分にできることに心を向けるという「心の姿勢」そのものにあるのです。

ポイント④「やがては自分自身の生き甲斐となり、喜びとなり、その心が救けて頂ける源になる」

そして、このひのきしんの態度を持ち続けることが、自分自身の生き甲斐と喜びになる

さらには、その心こそが、親神様にたすけていただく源になると仰っています。

人をたすけ、人に喜んでもらうことが、巡り巡って自分自身のたすかりにもなっていく。天理教で大切にされている「人たすけて わが身たすかる」という考え方が、ここにも表れています。

日常で「ひのきしんの態度」を実践するには?

三代真柱様のお言葉を踏まえると、ひのきしんは特別な日の特別な活動ではなく、日々の暮らしの中にあるものだということが見えてきます。

特別な資格やスキルも必要ない、どんな人でも実践できる信仰の態度のことです。

たとえば、朝は家族に「おはよう」と笑顔で声をかける

職場や学校で「ありがとう」をいつもより意識して口にする

誰かに助けてもらったとき、「すみません」の代わりに「ありがとうございます」と笑顔で受け取る。

身体が辛くて動けない日でも、看護してくれる人に「ありがとう」と微笑む

なにより大切なのは、「今の自分にできることは何だろう?」と心を向けること。

その心の向き方そのものが、もうすでに、ひのきしんの始まりなのだと思います。

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まとめ

最後に、この記事のポイントをまとめておきます。

ひのきしんとは、親神様のご守護への感謝の心から、自分にできることを進んでさせていただくこと。「日の寄進」=日々の寄進であり、毎日の暮らしの中で実践するものです。

ボランティアとの違いは、きっかけや心の向き。ボランティアは社会貢献が、ひのきしんは親神様への感謝が出発点です。結果として人の役に立つ点は共通しています。

ひのきしんの姿は千種万態。掃除や奉仕活動に限らず、仕事も家事も、感謝の心で取り組むならばすべてがひのきしんです。

そして「ひのきしんの態度」という考え方。三代真柱様は、身体が動かなくても、笑顔で人の親切を受け入れることさえ「立派なひのきしんの態度」だと教えてくださいました。

ひのきしんの本質は、行動のレベルだけではなく、「態度」にあるのです。

「今の自分にできることは何だろう?」

その問いを持ち続けることが、ひのきしんの態度であり、陽気ぐらしへの第一歩なのだと思います。

それでは。

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この記事を書いた人

桑原 信司のアバター 桑原 信司 後継者

天理教綾部分教会の後継者です。信者の皆さんや、地域の方々の心が明るくなるような信仰拠点を目指して、日々歩んでいます。
二児の父親。粒あんとコーヒーが好きです。