この記事は、天理教綾部分教会が発行している会報『陽気ぐらし通信(2026年8月号)』の内容を、Web用に再編集してお届けするものです。
今年の夏は、いろんな意味で“熱かった”ですね。
甲子園で躍動する天理高校野球部の大躍進に、私もテレビの前で幾度となく拳を握りました。
福山高校(広島)、高川学園(山口)、そして準々決勝で三重高校(三重)に勝利。懸命に戦う天理ナインの姿に、胸が熱くなる日々でした。
そして迎えた、健大高崎高校(群馬)との準決勝。
試合は0-1のまま、最終回を迎えました。
このままでは終われない天理高校は意地の粘りを見せ、ツーアウト満塁。「あと1本出れば…!」というところまで追い詰めると、健大高崎は決勝のために温存していたエース・石垣君を投入します。
そして結果は…フルスイングの三振で試合終了。
最後のバッターとなった関村君が膝から崩れ落ちて号泣する姿を見て、私も胸に込みあげるものがありました。
この夏、天理高校の選手たちは、私たちに大切なことをいくつも教えてくれたように感じます。
今月は、そのことについて書いてみたいと思います。
「毎朝4時半のゴミ拾いが、1点に繋がるんです」
この夏の天理高校で私が強く心を動かされた話があります。
準々決勝の後、マネージャーの溝渕千聖(ちせ)さんが、勝利を呼び込む天理の習慣として、次のようなことを話しました。
「試合前に、4時30分から宿舎の周りのゴミ拾いを全員でしました。毎日やっています」
毎朝4時半。甲子園期間中、疲労が蓄積しているはずの選手たちが、試合前にまず宿舎の周りのゴミを拾うというのです。
しかもこれは甲子園のための特別な行動ではなく、普段から続けている習慣だといいます。
同じくマネージャーの田渕みあびさんと鈴木優苺(ゆめ)さんは、こう話していました。
「これ(ゴミ拾い)が1点につながるんです」
この一言に、私は信仰の魅力を感じました。
ゴミを拾うことと、試合で1点を取ることの間には、一見すると何のつながりもありません。
けれど、彼女たちの信仰がそれを結びつけているのです。そしてその信念が、チーム全体に浸透している。
主将の金本君もこう話しています。「日ごろのゴミ拾いなど、”運”というところを全員が意識しています」
ひのきしんの精神が、心を整える
天理教では、この「感謝の心から自発的に行動すること」を「ひのきしん」と呼びます。
誰かに言われたからやるのではなく、自分が健康な体であり、元気に野球ができていることへの感謝の気持ちから、自然と「誰かのために」手が動く。
天理高校の選手たちが毎朝続けてきたゴミ拾いは、まさにひのきしんの実践となっていたと思います。そして、その小さな積み重ねが、ベスト4という大きな結果に繋がっていったのでしょう。
「すごい」と声に出したくなる姿に
実は、天理高校の選手たちのゴミ拾いは、以前から天理の人々にも伝わっていました。
毎日の練習で疲れているはずなのに、黙々とゴミを拾い、周辺をきれいにしていく。
その姿は周囲の人たちの心を動かし、いつしか天理高校は「心から応援したくなる」「誇りに思える」チームへとなっていきました。
改めて感じるのは、ひのきしんは、言葉で伝えるよりも、行動で示すことで、周りに伝わっていくものなのだということです。
小さな積み重ねが、大きな力になる
天理高校の夏は、残念ながら準決勝で幕を閉じてしまいました。
結果だけを見れば、悲願の優勝には届きませんでした。けれど、彼らがこの夏に見せてくれたものは、スコアボードには映らない、もっと大切なものだったように思います。
ともすれば当たり前に感じてしまう健康な体への感謝を、毎日のゴミ拾いで表す。そうした日々のひのきしんの小さな積み重ねが、運を味方につけるだけでなく、誰かのために頑張れる心がチームを一つにしました。
また、彼らの姿を見て心を動かされた天理の人たちが、甲子園に駆けつけ、アルプススタンドを揺るがすような「わっしょい」の大声援を送りました。
天理教の信仰は、特別な場所で特別な修行をすることではありません。実は、日々の暮らしの中で、小さなことでも感謝の心で持つこと、そしてそれを行動に現していくことが一番大切なのです。それが、人生を好転させる大きな力になっていくのです。
天理高校の選手たちは、そのことを身をもって教えてくれたように思います。
私たちの「小さな積み重ね」
私たちの日常には、彼らがやっていた毎朝のゴミ拾いのような「小さな積み重ね」があるでしょうか。
天理教の「ひのきしん」は、なにもゴミ拾いだけではありません。真柱様は、ひのきしんについて次のように仰られています。
「例えば、身体が動かなくても、目を使い、口を使い、言葉を使うという道があります。人の親切を喜んで受け入れる笑顔を作ることもできるのであります。
それらの努力は、強いて言うならば、立派なひのきしんの態度だと思う。そうしてそれが、やがては自分自身のその時その時の生き甲斐となり、喜びとなり、その心が救けて頂ける源になるわけであります。」
『真柱様お言葉集』より
つまり、ひのきしんの本質は、「何かをしたか?」ではなく、「なぜするのか?」だということです。
ですから、どんな些細なことでも、親神様のご守護に感謝し、今の自分にできることに心を向けて行動に移すこと。それだけで、親神様にお受け取りいただける立派なひのきしんになるのです。
そして、それこそ天理高校が「これが1点に繋がるんです」と語ったように、私たちの人生における「1点」に繋がっていくでしょう。
天理高校の選手たちに負けないように、私も日々の小さな積み重ねを大切にしていきたいと思います。
これからも、あなたの心が少しでも明るくありますように。
「陽気ぐらし通信」では、日々の出来事の中から、心を明るくするヒントをお届けしていきたいと思います。
それでは、また来月。
(文・桑原信司)
